昨年末、私が心筋梗塞で入院していた間に愛犬が死んだ。
この2月まで生きていれば18歳、人間に例えればゆうに100歳は超えている年齢だそうで、人間であれば役所からご長寿のお祝いをもらっていたはずでしょう。
しかし、ご長命で大往生かとは言えず、この2年間は完全に寝たきりで、かつ視力聴力皮膚感覚も衰え、ほぼボケの状態でした。近所の人が言うには、寝たきりで2年も生きていたのは奇跡だそうだ。
ここ半年は、ボケた状態ながら日に何度も叫ぶ事が彼の日課になっていました。
私には、「もう死にたいよー、楽になりたいよー」と聞こえました。家族たちも同じだったと思います。
もしそれに答えた場合でも、人から虐待だ、犬殺しだ、と批難されることはないでしょうし、飼い主としての責務の「安楽死」だと納得してもらえる状態でした。
例えれば、足を骨折した競走馬の安楽死のように。
このセオリーを覆したのが、名馬「テンポイント」のオーナーだったが、結局は安楽死処分となり、「私のエゴで、この馬をより苦しめただけだった」と後悔していた。
しかし、いざ楽にしてやろうと思ってもなかなか出来ないものです。
やり方にしても、血が出るのはNGですし、毒物もない。首を絞めるのも手に感触が残るのでNG。刃物なんてのはもっての外。
結論は、ラップを顔に巻いての窒息でした。
そんな結論を出しても、いざ実行となると躊躇するもので、ずるずると引き延ばしている間に私が入院ということになり、その間に犬が死んだという落ちでした。
ちなみに死因は聞いていない。
さて、念願のあの世に旅立った彼(愛犬)の晩年は幸せだったのでしょうか。
少なくとも、寝たきりになった2年前以後は、何の生きがいも無く苦しみだけの生活だったはずだ。
結局は、飼い主の人権論(犬権?) だとか、ペットの命の尊さといった変な勘違い、エゴから、愛犬を2年間も苦しめてしまったと後悔している。
以前、ペットの幸せとは何かについて書いたことがある。
2010.12.15のエントリー「「長寿」と「若死に」、どちらのペットが幸せか」。
http://tsuki4202000.iza.ne.jp/blog/entry/2070463/
読み返してみると、「毎日贅沢で美味しい食事を与えられ、ぽっくり若死にしたほうが幸せなペット人生なのかも、と我家の老犬を見ながら考える今日この頃です。」と結んでいる。
今でははっきりと、その通りだったと言えますね。
そして、寝たきりで生きがいを無くしたペットには安楽死を考えるべきである。
これって、人間に対しても必要なのでは・・・。次号にて。








by 内田一ノ輔
測定値の信頼性を論じない放射…